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【本要約】大栗博司【強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く】はじめに

目次

2012夏、素粒子物理学の歴史的瞬間

2012年の夏、著者は米国コロラド州にあるアスペン物理学センターに滞在し研究をしていました。この研究所には毎年夏の間、世界中から物理学者が訪れ、活発な議論が交わされます。7月4日深夜、この研究所の会議室に30人近くの物理学者が集まりました。スイスのジュネーブにあるCERN(欧州原子核研究機構)で行われるセミナーの様子を、世界中に同時送信されるウェブキャストで見るためです。

 

著者たちが待っていたのは、ヒッグス粒子と呼ばれる素粒子の発見です。これが見つかれば、「標準模型」と呼ばれる、素粒子の世界の基本理論が完成するのです。

 

素粒子物理学の目的は、この世界は何でできているのか、その間にはどのような力が働いているのかを明らかにし、私たちの宇宙の深遠な謎に答えることです。そのために多くの研究者たちが長年にわたって知恵を絞り、築き上げてきた理論が標準模型です。そしてこの理論の中で、ただ一つ未発見だったのがヒッグス粒子でした。この粒子を見つけることが、CERNLHC(大型ハドロン衝突型加速器)という巨大実験施設を建設した目的の一つだったのです。

 

セミナーが始まり最新のデータが発表されるたびに、深夜の会議室で歓声があがりました。CERNは正式に、水素原子のおよそ134倍の質量を持つ新粒子の発見を宣言したのです。

 

「人類、やるじゃない!」

著者がこの発見に驚き、感動した理由は二つあります。

 

一つは、この実験を支えた技術力のすばらしさです。

 

LHCの施設では、1周27kmの無人トンネルの中で、陽子と呼ばれる粒子を光速の99.999999%まで加速します。右回りと左回りに走る二組の用紙の運動を、絶対温度一度近くまで冷却した超電導電磁石で制御し、正面衝突させます。加速した陽子の集まりの運動エネルギーは、フランスの高速鉄道TGVが時速150kmで走るときのエネルギーに匹敵するという、世界最大の実験施設です。

 

2008年9月に運転が始まった直後には大きな事故が起きて実験継続が危ぶまれましたが、2009年10月の運転再開後はすべての機器が完璧に機能し、設計の基準を大きく上回る働きをしました。この実験装置によって、私たちはこれまで人類が見たことのない1000京分の1mの世界に初めて踏み込むことになったのです。

 

とはいえ、ヒッグス粒子の検出は容易な仕事ではありません。装置の性能を考えると、データ収集には2012年末ぐらいまでかかると思われていました。それからさらにデータを解析するとなると、ヒッグス粒子発見の発表は早くても2013年の春。それが半年以上も早まったのは、著者たちにとって驚くべきことでした。

 

著者が感動したもう一つの理由は、ヒッグス粒子の発見は、技術の勝利であるとともに、数学の力の勝利でもあったということです。

 

この粒子の存在は、素粒子の世界を数学的に説明するために、理論物理学者たちが紙と鉛筆で考え出したものです。「こういう素粒子があれば理論的には辻褄が合う」という形で予言したものですから、本当にそんなものが存在するかどうかはわかりませんでした。

 

ところが今回の発見で、自然界がその理論を採用していたことがわかりました。

 

人類、やるじゃない!

 

CERNの発表を聞いたとき、著者は心の中でそう呟きました。