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【サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福】第2章 虚構が協力を可能にした その1 プジョー伝説

プジョー伝説

私たちの近縁であるチンパンジーはたいてい、数十頭で小さな群れを成して暮らしている。最も有力なチンパンジー(ほぼ確実にオス)は「アルファオス」と呼ばれる。


アルファの座をめぐって二頭のオスが争っているときにはたいてい、集団の中のオスとメスの両方の支持者を集めて広範な連合を形成して競い合う。アルファオスはたいてい、競争相手よりも身体的に強いからではなく、大きくて安定した連合を率いているから、その地位を勝ち取れる。こうした連合は、アルファの地位をめぐる表立った争いの間だけでなく、日常のほぼすべての活動でも主要な役割を果たす。


このような形で組織し、維持できる集団の大きさには明確な限界がある。一つの集団がうまく機能するには、成員全員が互いを親しく知らなければならない。


同様のパターンが、太古のホモ・サピエンスも含めた初期の人類の社会生活にも、おそらく浸透していただろう。人類の社会的本能も、小さくて親密な集団にしか適応していなかった。


認知革命の結果、ホモ・サピエンスは噂話の助けを得て、より大きくて安定した集団を形成した。だが、噂話にも自ずと限界がある。社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の「自然な」大きさの上限がおよそ150人であることがわかっている。


今日でさえ、人間の組織の規模には、150人という魔法の数字がおおよその限度として当てはまる。この限界値以下であれば、コミュニティや企業、社会的ネットワーク、軍の部隊は、互いに親密に知り合い、噂話をするという関係に主に基づいて、組織を維持できる。


だが、いったん150人という限界値を超えると、もう物事はそのようには進まなくなる。


では、ホモ・サピエンスはどうやってこの重大な限界を乗り越え、何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう?その秘密はおそらく、虚構の登場にある。厖大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾良く協力できるのだ。


近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している。


とはいえこれらのうち、人々が創作して語り合う物語の外に存在しているものは一つとしてない。宇宙に神は一人もおらず、人類の共通の想像の中以外には、国民も、お金も、人権も、法律も、正義も存在しない。


「原始的な人々」は死者の霊や精霊の存在を信じるなどして、社会的秩序を強固にしていることを、私たちは簡単に理解できる。だが、現代の制度がそれとまったく同じ基盤に依って機能していることを、私たちは十分理解できない。企業の世界の格好の例がプジョーの伝説だろう。


プジョーはシュターデル洞窟からわずか300キロメートルほどの所にあるヴァランティニェの村で、小さな家族経営事業として始まった。同社は今日、世界中で約20万の従業員を雇っているが、そのほとんどは、互いにまったく面識がない。だが、彼らはじつに効果的に協力する。


私たちはどういう意味でプジョーSA(同社の正式名称)が存在していると言えるのだろうか?


ここでさまざまな例が登場するが、要するに、プジョーSAは物理的世界とは本質的に結び付いてはいないようだ。それでは、同社は本当に存在しているのだろうか?


プジョーは私たちの集合的想像の生み出した虚構だ。法律家はこれを「法的虚構(法的擬制)」と呼ぶ。


プジョーは法的虚構のうちでも、「有限責任会社」という特定の部類に入る。このような会社の背景にある考え方は、人類による独創的発明のうちでも指折りのものだ。有史時代のほとんどの期間、資産を所有できるのは生身の人間に限られていた。もしプジョーの創業者一族のジャンが13世紀のフランスで荷馬車製造工場を開設していたら、いわば彼自身が事業だった。


もしあなたが当時生きていたらおそらく、自分の事業を始めるのに二の足を踏んだだろう。そして、このような法律上の状況のせいで、起業家精神が現に抑え込まれていた。


だからこそ、人々は有限責任会社の存在を集団的に想像し始めた。そのような会社は、それを起こしたり、それに投資したり、それを経営したりする人々から法的に独立していた。アメリカでは、有限責任会社のことを、専門用語では「法人」と呼ぶ。アメリカでは法人を、まるで血の通った人間であるかのように、法律上は人として扱う。


アルマン・プジョーが、金属加工工場を親から相続し、自動車製造業に手を染める決断を下した1896年当時のフランスの法制度も、同様だった。彼はこの新事業を始めるにあたり、有限責任会社を設立した。


では、人間のアルマン・プジョーは、いったいどうやって会社のプジョーを生み出したのだろう?すべては、物語を語ることと、人々を説得してその物語を信じさせることにかかっていた。


プジョーSAの場合、決定的に重要な物語は、フランスの議会によって定められたフランスの法典だった。


効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。


人々は長い年月をかけて、信じられないほど複雑な物語のネットワークを織り上げてきた。この物語のネットワークを通して人々が生み出す種類のものは、学究の世界では「虚構」「社会的構成概念」「想像上の現実」などとして知られている。


想像上の現実は嘘とは違い、誰もがその存在を信じているもので、この共有信念が存続するかぎり、その想像上の現実は社会の中で力を振るい続ける。


サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンといった客観的現実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。