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【サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福】第1章 唯一生き延びた人類種 その4 兄弟たちはどうなったか?

兄弟たちはどうなったか?

火の恩恵にあずかってはいたものの、15万年前の人類は、依然として取るに足らない生き物だった。


ホモ・サピエンスに分類されうる動物が、それ以前の人類種から厳密にいつどこで最初に進化したかはわからないが、15万年前までには、私たちにそっくりのサピエンスが東アフリカに住んでいたということで、ほとんどの学者の意見が一致している。


東アフリカのサピエンスは、およそ7万年前にアラビア半島に拡がり、短期間でそこからユーラシア大陸全土を席巻したという点でも、学者の意見は一致している。


ホモ・サピエンスアラビア半島に行き着いたときには、ユーラシア大陸の大半にはすでに他の人類が定住していた。では、彼らはどうなったのか?それについては、2つの相反する説がある。「交雑説」によると、ホモ・サピエンスと他の人類種は互いに惹かれ合い、交わり、一体化したという。


これと対立する、いわゆる「交代説」は、それとは大きく異なる筋書きを提示する。ホモ・サピエンスは他の人類種と相容れず、彼らを忌み嫌い、大量殺戮さえしたかもしれないというのだ。この説によると、サピエンスと他の人類種は異なる解剖学的構造を持ち、交合の習性はもとより、体臭さえも違っていた可能性が非常に高いという。


ここ数十年は、交代説がこの分野では広く受け容れられてきた。だが、2010年、ネアンデルタール人のゲノムを解析する4年に及ぶ試みの結果が発表され、この論争に終止符が打たれた。


中東とヨーロッパの現代人に特有のDNAのうち、1~4%がネアンデルタール人のDNAだったのだ。その数か月後、第二の衝撃が走った。デニソワ人(ホモ・デニソワ)の化石化した指から抽出したDNAを解読すると。現代のメラネシア人とオーストラリア先住民に特有のDNAのうち、最大6%が、デニソワ人のDNAであることが立証されたのだ。


もしこうした結果が確かであれば(さらなる研究が進行中で、これらの結論は補強あるいは修正されるかもしれないことには、ぜひ留意してほしい)、交雑説の支持者は、少なくとも部分的には正しかったわけだ。とはいえ、交代説が完全に間違っていたことにはならない。サピエンスと他の人類種の違いは、交合して子孫を残すのを完全に妨げるほど大きくなかったとはいえ、そのような交合はやはり非常に稀だったはずだ。


それでは、サピエンスとネアンデルタール人とデニソワ人の間で見られる生物学的なつながりは、どう理解したらいいのか?馬とロバのような、共通の祖先から進化した二つの種はみな、しばらくの間は、ブルドッグとスパニエルのように、同一の種の二つの集団だった。そしてその後、両集団の個体がすでに互いにかなり異なりはしたものの、稀に交合して繁殖力のある子孫を残すことができる時期があったに違いない。やがて新たな突然変異が起こって、両者を結びつける最後の絆が断ち切られ、両者はそれぞれ別の進化の道をたどり始めた。


およそ5万年前、サピエンスとネアンデルタール人とデニソワ人は、ちょうどそのような境界にあったらしい。したがって、両集団は一体化はしなかったが、ネアンデルタール人の遺伝子のうちで幸運なものは、サピエンス急行にうまく乗り換えることができた。


だが、ネアンデルタール人とデニソワ人をはじめ、他の人類種はサピエンスと一体化しなかったのなら、なぜ消えてしまったのか?まず、ホモ・サピエンスによって絶滅に追い込まれたという可能性がある。


別の可能性として、資源をめぐる競争が高じて暴力や大量虐殺につながったことも考えられる。


過去1万年間に、ホモ・サピエンスは唯一の人類種であることにすっかり慣れてしまったので、私たちはそれ以外の可能性について思いを巡らせるのが難しい。


サピエンスに責めを負わせるべきかどうかはともかく、彼らが新しい土地に到着するたびに、先住の人々はたちまち滅びた。


サピエンスの成功の秘密は何だったのか?激しい議論は今なお尽きないが、最も有力な答えは、その議論を可能にしているものに他ならない。すなわち、ホモ・サピエンスが世界を征服できたのは、何よりも、その比類なき言語のおかげではなかろうか。