目次
東南アジアの地政学
東南アジア・マンダラ論
東南アジアの地政学を語る際に非常に参考になるのは、アメリカの歴史学者オリバー・ウォルタースの著書『東南アジアから見た歴史・文化・地域』で紹介されている「マンダラ論」である。マンダラ論は東南アジア独特の地理的条件から生まれた国家形成論である。中国・ヨーロッパ諸国で生まれたような、武力による侵略で起こる、領土の拡大・支配を通じた固定的な領土が古代の東南アジアにはなかったのだ。
東南アジアは大陸と島々からなる広大で多様な場所だ。東南アジアの自然は厳しい。毒蛇もいれば肉食獣もいてマラリアなどの致死率の高い風土病もある。
東南アジアに広がる多様で厳しい地理的条件の中で生き抜くには共同体に高い独立性と流動性が備わってくる。そのような人たちを束ねるのは武力ではなく、信任関係だったとウォルタースは説くのだ。
信任関係がないと、独立性があり機動力の高い集団は、力による統治に反発して簡単に移動してしまう。
共同体ごと移動するといってもその移動は命がけであった。共同体事移動する際には、集団の命運をかけた意思決定とメンバーからの信任が不可欠だった。
もう一つは中国や欧州のような父系的世襲が東南アジアにはなかった。東南アジアは
父系性と母系性の双系社会だった。よって、父系性の特徴である血筋、世襲という継承システムはなく、リーダーは常に実力、つまり統率力、交渉力で選ばれていた。
後述するように、東南アジア諸国は欧州列強によって植民地にされる。しかし実態は、欧州列強が東南アジア侵略を始めたとき、早々に直轄支配を諦め、自治権を認めた間接支配に切り替えざるを得なかったのはここに理由がある。
東南アジアに国民国家ができたのは第二次世界大戦後
前述のマンダラ論は現代の国民国家の概念からすれば、なんともあやふやなものだが、実際、第二次世界大戦後に欧米列強が植民地として分割した場所が今の国家になった。中央集権も封建制も東南アジアでは生まれることがなかった。
しかし、マンダラ論で出来上がった共同体というものは頑強ではないがしなやかな強さを持っていたと考えられる。その強さがベトナム戦争で東南アジアの新興国ベトナムが覇権国家アメリカを倒したことにつながる。
ウォルタースによると、マンダラ国家は重層構造であるという。小マンダラ、中マンダラ、大マンダラ、と共同体が入り混じり、メンバーも複雑に出入りし、共同体は大きくなっていく。それが現在の東南アジア国家の原型になっている。