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【本要約】大栗博司【強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く】第3章 距離が長くなるほど強くなる―強い力の奇妙な性質

目次

1932、物理学の世界を揺るがした二つの事件

前章までは、質量と力という概念を通じて、素粒子の世界を見てきました。物質の基本的な成り立ちや、その間で働く力のことが、おおまかにイメージできたと思います。そこでここからは、本書のタイトルでもある「強い力と弱い力」について掘り下げていくことにしましょう。

 

先に取り上げるのは「強い力」です。ヒッグス粒子は「弱い力」に関わるものなので、早くそちらを知りたいと思うかもしれませんが、もう少しお待ちください。弱い力の何がどう不思議なのかは、まず強い力のことを知り、それと比較するとよくわかります。

 

強い力の研究は、原子核を作る力である核力の問題から始まりました。そのきっかけになったのは、1932年に物理学の世界を揺るがした二つの大事件です。

 

一つは、ケンブリッジ大学のジェームズ・チャドウィックによる中性子の発見です。

 

ポロニウムと呼ばれる原子の原子核から電気的に中性の放射線が出てくることは、ジョリオ=キュリー夫妻らによって研究されていました。チャドウィックは、この放射線が陽子とほぼ同じ質量を持つ新種の粒子の集まりであることを示し、これを中性子と名付けたのです。

 

チャドウィックは中性子発見からわずか3年後の1935年にノーベル賞を受賞しました。

 

もう一つの事件は「加速器」の開発によって起こりました。これを作ったのはケンブリッジ大学のジョン・コッククロフトとアーネスト・ウォルトンです。

 

それまで、粒子を衝突させる実験では、原子核から自然に出てくる放射線を利用していました。しかし自然の放射線だけでは実験できる範囲に限界があります。

 

そこでコッククロフトとウォルトンは、強い電場によって粒子を加速させる方法を考案しました。さらに、自ら開発した加速器で陽子を原子核に衝突させ、世界で初めて原子核を人工的に破壊することに成功したのです。コッククロフトとウォルトンは1951年にノーベル賞を受賞しています。

 

中性子の発見と原子核の人工破壊によって、それまで謎だった原子核の構造を明らかにする手がかりが得られました。

 

「四面楚歌、奮起せよ」若き科学者の強い決意

この発見を受けて研究への意欲を漲らせた若い科学者が日本にいました。1929年に大学を卒業したのち、原子核の構造を一つのテーマとしていたその科学者は、1932年からの2年間、核力の解明に全力を注ぎます。核力とは、陽子と中性子を結びつける力のこと。言うまでもなく、その若い科学者とは湯川秀樹のことです。

 

生誕100年を記念して2007年に公開された『湯川秀樹日記』(朝日選書)を読むと、中間子理論を発表した1934年当時の心の動きがまざまざと伝わってきます。

 

陽子と中性子を結びつける力は大きな謎でした。物質同士の間に働く引力と言えばまず重力が思い浮かびますが、これは弱すぎて話になりません。

 

では、重力よりも圧倒的に強い電磁気力でこの力を説明できるかと言えば、そういうわけにもいきません。電磁気力しかないと、プラスの電荷を持つ陽子同士は引き付け合うどころか、電荷の反発力によって逆にバラバラになってしまいます。そのため、原子核をまとめるためには、重力や電磁気力とは別の新しい力を考える必要がありました。

 

そんなところに、ある理論が登場します。「フェルミオン」の名の由来でもあるローマ大学の物理学者エンリコ・フェルミによる弱い力の理論です。しかし当時はまだ、弱い力と核力との区別は明らかではありませんでした。そのため、フェルミの論文を読んだ湯川は焦りを感じたようです。1934年5月31日の日記には、

 

 四面楚歌、奮起せよ

 

と自らを鼓舞する言葉を記しています。

 

しかし計算してみると、フェルミ理論で計算された力は、核力にしては弱すぎることがわかりました。

 

ここで発想を切り替えて、核力を伝える新粒子の可能性を真剣に考え始めたと思われます。