- 「高ければ高いほど売りたくなる」わけではない
- ふたつの価値―経済学者はすべてを「値段」で測る
- 「お片付け」に値段は付けられるか?―助け合いと市場取引
- すべてが「売り物」になる
- 市場の法則から外れた世界―古代ギリシャ人は「オークション」をしない
- 自分のことすら「市場価値」で測ってしまう
- 市場社会のはじまり―生産の3要素が突然「商品」になった
- グローバル貿易―農奴より羊を飼おう
- 囲い込み―人類史上稀に見る「残酷な改革」
- 「すべての農奴」が商人になった
- 工場―歴史の中の「灰色の実験室」
- 偉大なる矛盾―すさまじい富とすさまじい貧困が生まれた
- 世界はカネで回っている?
- 参考文献
「高ければ高いほど売りたくなる」わけではない
ふたつの価値―経済学者はすべてを「値段」で測る
「お片付け」に値段は付けられるか?―助け合いと市場取引
家族や友人やコミュニティの仲間は、お互いに助け合う。ある意味で、それも「交換」であるが、商業的な意味はなく、市場での取引とはまったく違う。
ほとんどのものが広い意味での家庭内で生産されていたことからできた言葉が、「オイコノミア」だ。家庭という意味の「オイコス」と、法律、ルール、制約という意味の「ノモイ」がひとつになって、「オイコノミア」という言葉が生まれた。
この「オイコノミア」こそ、「エコノミー」の語源だ。
人類の歴史のほとんどのあいだ、こうした家庭内経済はさまざまなものを生み出してきたが、「商品」は稀にしか生まれなかった。
すべてが「売り物」になる
この200年から300年のあいだに、人類の歴史は異なるフェーズに入った。多くのものが商品になり、自分が使うものを自分でつくることは稀になった。
さまざまな場所で交換価値が経験価値を打ち負かすようになった。
そんな中で、「エコノミー」という言葉は違う意味になった。
いまの経済を表すには、「アゴラノミー」という言葉のほうがふさわしい。アゴラとは市場のことで、アゴラノミーとは「市場の法則」という意味だ。
市場の法則から外れた世界―古代ギリシャ人は「オークション」をしない
なぜ古代ギリシャ人はオークションを思いつかなかったのだろう?オークションなど意味がなかったからだ。アイアースにとってもオデュッセウスにとっても、アキレウスの武器の交換価値はどうでもよかった。そこには、違う種類の価値があった。アキレウスの武器を受け継ぐに値する人物だと認められることが、彼らにとっては大切だったのだ。
自分のことすら「市場価値」で測ってしまう
古代ギリシャの時代といまの時代との違いはそのまま、「市場のある社会」と現在の「市場社会」との違いである。商品と市場と交換価値は古代にも存在し、大切な役割を果たしていた。
しかし、当時の社会は市場の論理に支配されてはいなかった。
市場社会における人生は、経済的なものさしでしか理解できない。もちろん、文化と習慣と信仰はいまも大切だが、現代では、市場が小さくいまだに経験価値が支配的な地域でも、人は自分が市場に与える影響を通して自分の価値を測ってしまう。
ここで次の問いを考えてみよう。「市場のある社会」はどのように「市場社会」になったのだろう。
市場社会のはじまり―生産の3要素が突然「商品」になった
何かを生産するのに必要な要素は次の3つだ。
- 自然から採取する原材料、それを加工する道具や機械、そうしたすべてを置く建物や柵、そしてインフラ一式。これらすべてが「生産手段」であり、経済学者の言う「資本財」である。
- 「土地」または「空間」。
- 製品に命を吹き込む「労働者」。
大昔の社会では、生産に必要なこれらの要素はいずれも「グッズ」ではあったけれど、「商品」ではなかった。
市場社会は、生産活動のほとんどが市場を通して行われるようになったときにはじまった。そのとき、生産の3要素は商品となり、交換価値を持つようになった。
では、この大転換はどのように起きたのだろう?生産の3要素が突然、商品になったのはなぜだろう?
グローバル貿易―農奴より羊を飼おう
世界が変わりはじめたきっかけは、ヨーロッパで造船が発達し、羅針盤が利用され、航海手段が改善されたことだった。ヨーロッパの船乗りは新しい航海ルートを発見し、それがグローバル貿易につながった。
イングランドやスコットランドの領主たちは、社会階層の低い商人や船乗りが莫大な富を手に入れていることに憤慨し、自分たちの地位や資産が小さく感じられることが気に入らなかった。
そこで思い切って決めた。土地を柵で囲って、立ち入り禁止にしよう。小汚い農奴を全員締め出して、代わりに羊を飼うんだ。羊ならおとなしいし、羊毛は世界で売れる。
こうして、イギリスは人類史上稀に見る残酷な改革を行った。これが「囲い込み」だ。
囲い込み―人類史上稀に見る「残酷な改革」
数千、数万という農民が泥道に放り出され、自分たちが持っているただひとつの労働力を差し出した。
最初のうちは、ものすごい数の農奴が労働力を「売り出して」いたのに対して、買い手はほとんどいなかった。
数十年後に最初の工場ができてやっと、労働力への需要が高まった。
土地にも、労働力と同じことが起きた。
農奴を追い出し羊を飼いはじめた領主は、しばらくすると、自分たちで羊毛を生産するかわりに、誰かに土地を貸し出して、どの土地でできる羊毛の価値によって賃料を決めればいいことに気づいた。
「すべての農奴」が商人になった
とはいえ、誰が土地を借りて羊を育てる?これまで農奴だった人たちの一部だ。彼らは領主と賃貸契約を交わし、市場で羊毛を売ったおカネで賃料を支払い、働き手であるほかの農奴たちにわずかばかりの給料を支払い、残ったお金で自分たちが生きていけることを期待した。
昔の心配は、領主が十分な分け前を与えてくれず、冬が来たら食べ物がなくて死んでしまうかもしれないということだった。だが、今の心配はまったく違う。
「羊毛が市場で高く売れるだろうか?そのおカネで賃料を支払い、かつ子どもたちを食べさせていけるだろうか?」
それが新たな心配の種になった。
工場―歴史の中の「灰色の実験室」
「囲い込み」によってすべての材料はうまく混ぜ合わされて、工業化に必要な準備が整った。
とはいえ、材料だけでは料理はできない。熱が必要だ。その熱が届いたのは、18世紀の後半になってからだ。それは、黒々とした煙を吹きだす高い煙突のついた、人間味のない灰色の建物からやってきた。工場だ。
「どうして産業革命はイギリスで起きたの?フランスや中国じゃなくて」そんな君の疑問が聞こえてきそうだ。
偉大なる矛盾―すさまじい富とすさまじい貧困が生まれた
産業革命によるグローバル化は、「偉大なる矛盾」を生み出した。「思いもよらないほどの富」と「言葉にできないほどの苦痛」が共存する世界ができあがったのだ。前の章で話した農業革命が生んだ格差は、産業革命によってものすごい規模に拡大した。
世界はカネで回っている?
仮にいまの世界ではおカネが人生のすべてであり、最も大切なものになっているとしても、昔からそうだったわけではないということは、君に知っておいてほしい。
どうしてそうなったのかをひと言でわかりやすく言おう。
人間が、利益を追求するようになったからだ。
次に話すのは、君の頭がもっとこんがらがるようなことだ。利益の追求が人間を動かす大きな動機になったのは、借金に新たな役割ができたことと深いつながりがある。